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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

最近色々なことで悩み続けてきたのですが、その中で自分の写真がどうしてツマラナい物に見えるのかについて思い当たる事に気付きました。
自分では被写体に感動を覚え、それを表現すべくシャッターを切り続けて来たと勘違いしていたのですが、結局それは写していただけで魅せる写真が撮れていなかったからだと気付いたのです。
プロの写真家が人物などを撮る時には表面的なモノではなく、レンズを通してその人の人生体験までもを写し撮ると聞いたことがありますが、私の写真には其れが無く見たままの姿を小手先で其れらしく見えるようにしたモノばかりだと気付いたからなのです。
一言で言えば「修行が足りない」のですが、写真に対する厳しさや本気度が甘かったと反省しています。
たかが写真、されど写真と云ったところでしょうか・・・

私ばかりではなく、そんな上辺だけの写真を競い合う展示会やコンテストまでもが散乱して多くの勘違いアマチュア写真家を排出しています。
一部はメーカーのカメラやフィルムを売るための作戦だったのでしょうが、其れに便乗した自信過剰の輩が更に仲間を増やそうとばかりにお祭り騒ぎで数を増やしたため、今ではチョットしたイベントや地方の行政までもがコンテストを実施して写真の良し悪しも解らない市長が賞を出したりと、賞金や商品を目的に出展する人が増えて写真の本質からは遠ざかってしまった感がぬぐえません。
私の考えではあのようなイベントを盛り上げるための写真展はCGなどと同様に写真芸術とは切り離して別枠で考えるべきだと思います。
一言で「違う」とか「悪い」とかではなく、目的そのものが違うのですから最初から別のものとして扱うべきだと考えています。
最近流行の集団踊りや太鼓の演奏などともよく似ていますね。
時代の流れとともに自己発生的に生まれたもので、良いとも悪いとも判断が付きませんが、好きな人には堪らなく魅力があるのでしょうから認めないと云うのもおかしな話です。
多分これからも伝統芸能とは別の世界として住み分けて行くのでしょうし、更に新しい物の出現も予測されますね。

さいわい写真は個人行動なので派手さもありませんが、個性の表現では底知れぬ奥深さがありますから一個人として追求する魅力は際限がありません。
ただし、芸術は他人が評価して初めて価値観としての芸術と認められるわけですから自己満足な世界を理解してもらうには運も努力も人脈もあらゆるものが必要ですね。

とりあえず諸々の作品評価とは関係のない一切の要素を排除して「純粋に作品を評価してくれる」そんなコンテストを探していますが、日本で見つけるのは難しそうですね。

幾つか見つけたのですが、スベテ英語での対応しかやっていないので先ずは英語力を身に付けなくては・・・ 私には無理ですね。

​写すと魅せるの違いとは

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