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濱野 美津男

              (写真愛好家)

リタイヤ後に写真を初めて来年は9年目に入るのですが、進歩の無さに頭を抱えてしまいます。
元々さしたる才能もなく、感性の欠片もない人間が始めたことなのでこの程度が普通かもしれないのですが、周りの成長する姿を見ると焦らずには居られずにツイツイ考え込んでしまいます。
そもそも写真家のレベルとはどんなものなのでしょう?
私は次のように理解しています。

① 初心者
カメラを手にしたばかりのシャッターさえ押せば写る写真を楽しむ人達 スマホで撮りまくる(インスタ映え)もこの世界ですね。 目にする物を何でも記録に残そうとしてパシャパシャと撮りまくります。 最近ではSNSの発達で撮るだけでは無くネット上に公開することで同レベルの愛好家から「いいね」の賛辞を集めて喜ぶ程度の人かな?

② 初級者(ビギナー)
写真が少しだけわかるようになり、本格的に理解しようと教室などに通い始めた人
(運悪く古い頭の指導者に着くとデジタルカメラの撮影からは遠のいてしまう事もあります。)

③ 中級者(ローアマチュア・ミドルアマチュア)
写真に関する色々な知識を吸収し発揮することで、時折イメージ通りの写真が撮れるようになるレベル
(このレベルでローカルコンテストなどで入選すると「自分は上手い」と勘違いをして成長が止まってしまう人が殆どです。)

④ 上級者(ハイアマチュア)
常に表現に拘り、鑑賞者に印象深い感動を与え続けることが出来 写真集などを出しても採算の取れる範囲で販売が出来る人
(ファンが定着し、応援してくれる人も増えるのだが、プロとしてやっていくには経済的な問題が多く、門口にも差し掛かっていないのでアマチュアとして終わる人が多い)

⑤ プロ写真家
スポーツや技能の世界と違い資格試験があるわけでもないので極端に言えば自分で宣言をすればプロとは名乗れる世界です。
芸術の分野は殆どがそうなっていますね。
その為か、日本では昔から家元と云う制度があって流派の師範が認定書を出せば教室を開く資格を得られる制度が定着しているようです。
写真の世界でも一部の頭の古い人達が選考委員を務めると写真の出来よりも誰に師事したのかを重要視して選考する傾向が残っているそうで、コンテストに出してみようとする意欲を削がれてしまいます。
さいわい芸術の分野でしかプロの活躍の場がないわけではなく、結婚式場やスポーツの記録など色んな処でプロ写真家は活躍しているのですが、芸術の部門以外は自由に自分の思いで写すことが出来ず、客先の注文に応じて写す写真ばかりなので芸術性を追求する写真家には不満が残りそうですね。

さて、そこで私の実力はと云うと正直なところ②か③になりそうです。
そのくせプロを上回る写真を撮ろうと費用ばかり掛けているのですから呆れます。

まあ 自分では実力もセンスも何もないのに「先生が被写体を探して了承を得て、ポーズをつけた上で撮影位置や露出など細かい設定までの指示を受けた環境でハイ今!の掛け声に合わせてシャッターを押した写真でも」シャッターを押したのは自分だから自分の写真だと主張してコンテストに出しては入賞するやり方を繰り返している人と比べると入賞の肩書に拘らないだけマシかな? と、武士は食わねど高楊枝的な痩せ我慢を繰り返す私ですが、どちらが本当の写真を目指す者の考え方なんでしょうね。

習字で言えば先生が手を添えて書いた字のようなものですが、昔流行ったゴーストライターとは別のモノなんでしょうか?

自分の考えを表現し作品とすることが芸術とするなら撮影の場合にはカメラの設定に始まるすべての作業は自分で考えて操作してこそはじめて自分の作品と云えるのではないでしょうか?

写真もそうですが、絵画にしろ音楽にしろ制作過程のわからない芸術にはすべての作品にゴーストの疑惑が存在します。

そんな疑惑をかけられないためには日頃の制作活動をオープンにして、「あの人なら撮るだろうな」との信頼と実績を積むしかないですね。

だって 日頃アレレと思うような写真ばかりを見せられていたのにイキナリ写真コンテストで大賞と云うのは、あり得ないことですから普通の感覚ではそう思うのではないでしょうか?

自分のレベルを自覚しよう

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