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そんなに受賞歴が欲しいのか?

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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

​昨日の事 所属するクラブの要請で親元の機関が開催するコンテストの昨年分の写真を掲示する作業のお手伝いに行きました。

全てを展示し終わって帰ろうとすると出入り口に飾られていたひときわ大きな写真に目が行きよく見ると昨年の審査員特別賞を受けた作品でした。

一緒に行っていた当時の仲間の写真だったので機関誌で見掛けて自分ではカメラの設定もできない人なのになぁーーー と、思いながら大きく引き伸ばされた写真で雰囲気が違う事に気付きました。

撮影した当日は真夏で大汗をかきながら撮影したと云うのに作品には雨が付け加えられて雨の日の写真に成っていたのです。

元々カメラの事は殆どわからない人でしたから一緒に行った指導者が設定をしたカメラで立ち位置まで指定されて指導者のポーズを付けた二人の女の子に向けてシャッターを押しただけの写真なので、現在通っている教室でレタッチをしてもらった際にさしている傘で雨降りと勘違いをしてレタッチャーが勝手に雨を付け加えたのだと思いますが、その間違いにさえ気づくことなくプリントしてしまったのだと容易に想像がつく代物でした。

そもそも 写真の事が殆どわからないのにどうして厚かましく応募して受賞したがるのでしょうか?

フォトコンとは元々写真の表現力を競う場であったはずなのですが、カメラがデジタルに変わり、その扱いの容易さから愛好者が増え、そのブームを持続させるためにローカルコンテストが爆発的に増えて本来の目的を無視した何でもありの審査が横行したがために色々な問題を引き起こしているように感じます。

果ては その傾向に目を付けて素人を相手に写真教室の名で受賞請負人のような動きをしている人まで見掛けるようになりました。

この辺はお金が絡む話なので遠くない将来大きな社会問題にも発達しそうな気配もありますが、その辺にたくさんある習い事と一緒でその価値を自分の中で過大評価せずのめり込みさえしなければ問題はないのですが、見栄を張る人の中には勘違いをしている人も多くいて又それを持ち上げる人も更に多くいるのも事実です。

写真はあくまで表現力を競う芸術ですからお金を使って一度だまし取ってみても何の価値もない物だと早く気付くべきです。

その証拠に本物の写真家は次々と作品を生み出し、そのどれもが安定した評価を得ている筈です。

今後はエセの芸術家に憧れるのはやめて一度自分の本当の実力を知るべきです。

その作業で気付くものがあれば周囲の誘惑からも遠ざかることが出来るでしょう。

世間をだまして受賞したような賞は幼稚園のお遊戯会で配る「よく出来ました」の紙切のように意味のない代物です。

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