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​作品と誇れる写真を撮ろう

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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

デジタルの写真を始めて八年目、被写体となる美しい風景を求めて随分と遠くへも出掛け毎回撮れずにガッカリして帰って来たものですが、最近出会った先生の考えを聞いて自分の過ちに気付いた気がします。
確かに美しい被写体を撮れば其れなりに見栄えの良い写真は撮れるのですが、殆どの被写体が先輩カメラマンによって撮り尽くされており新鮮さを失って見慣れた作品になってしまうのです。
勿論それで満足できるのなら作品としては十分成立すると思うので良いのですが、オンリーワンの自分しか撮らない写真を目指している私は、そんなところで足踏みをしていてはイケないと気付きました。
目に見えるありのままを写し撮るだけなら今の高級カメラなら自分が介在しなくとも幾らでも作品らしく写し撮ってくれるからです。
問題は其処に私の存在する意義をどう表現出来ているかが作品として成立するか否かの分岐点だと気付いたのです。
むろん今までの様にピント位置や露出の工夫、長秒でのシャッターやフィルターの使用など既成の撮影手法では表現でき得なかった新しい撮影手法を開発してオンリーワンの写真を撮ろうと考え付いて現在模索中ですが、色々と試していくうちに「必然の偶然」と云う事に気付きました。
自分では毎回同じように条件を揃えている筈なのに思うように撮れる時と全く撮れない時が出て来るのです。
そのため撮影は毎回 陶芸家が初窯を出す時のような期待感に満ちたワクワクした気分に浸れます。
彼等も同じように作り上げた作品にこんな仕上がりになるだろうと想像しながら同じように釉薬をかけて出来るだけ均等に火が入るようにと条件を考えながら窯の中の配置をするにも拘らず本当に思い通りに仕上がる作品はよくあって一つと聞きます。
中には想像もしていなかった面白い作品が出て来ることもあり、それが一番の魅力だとも聞きます。
写真も同じではないかと思うのです。
何も考えずにシャッターを押せば、それなりのクオリティーを持つ写真が量産されます。
それが現在のカメラですが、其処に自分の意図や工夫を盛り込んでこそ芸術としての作品が生まれるのではないでしょうか?
「映える写真を見せ合って自己満足に浸かる」そんな環境を抜け出さないと芸術写真への一歩は踏み出せません。

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