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​写真を楽しむ為に

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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

デジタルカメラに成ってフィルム時代とは比較にならない程 機能が進化したためシャッターさえ押せば誰でもが普通に写真を撮れるようになった。
少し気の利いた写真でも少し撮り続けて居れば周りが感心するようなインパクトのある写真が撮れるようになった為にインスタ映えのような見栄えばかりを競う写真が増えてきたように思う。
勿論 そのようなモノも含めて写真であることは間違いはないのだが、作品として見る写真としてはどうなんだろう?
と、疑問が湧いてくる。
ましてや芸術的評価を下す筈のコンテストまでが混乱を極めて居るようで素人のような審査員が少しばかり見栄えがするような写真を取り上げてしまい、多くの写真ファンから審査員としての資質を疑われる声まで出ているのが現状です。
その目的は色々とあり、メーカーとしては写真愛好家を増やして新機種のカメラを次々と販売するのが目的でしょうし、機材を開発するメーカーも同様の事情を抱えているのだと思われます。
他にもたくさん関係する業態はあるのですが、その全てが写真の愛好家を増やして数で利益を得ようとする考えで進んでいるためスマホの出現とともに一気に急ブレーキが掛かってしまいました。
写真の芸術性を重視しなかった結果、写して満足する人達ばかりが増えてしまい手軽に写せるスマホに人気が移ってしまったのです。
こうなってしまってからではローカルコンテストでの受賞を餌に高額なカメラや機材を買わせようとしても其れ等の必要性を知る人は限られているので難しい状況です。
数々のローカルコンテストでの受賞をステータスとして来た人たちにとっても「一体何だったんだろう?」と、バブルに遭遇した雰囲気を味わうはずです。
受賞争いで人間性まで暴露して恥も外聞もなく「受賞したもの勝ち」の醜態を晒した人を見ましたが、メーカーに踊らされて高いカメラまで購入した結果がこんなに早く来ようとは思ってもみなかったでしょうね。

そんな事はさておき カメラとは入って来た光を記録し、再現するだけの箱に過ぎないのですから普通に使えば単なる光の記録装置に他なりません。
一方で人間の記憶では時間経過とともに薄れてしまう物もカメラでなら長期の保存が可能なうえ、大勢の人にアキラかな事実として伝えることも出来る便利な記録媒体なのです。
カメラが発明された凡そ150年前からその便利な機能に着目し、大勢の人に自分が出会った瞬間の出来事や感動したシーンを伝えようとする人たちが現れ、後に写真家としての地位を得て行ったのですが、諸外国では光画としてアートとしての扱いを含めた芸術分での受け入れも有ったのに対し、日本では「写真」の解釈を(真実を写す)と決め込み家元制度の様な扱いが蔓延しているため自由な発想で楽しむ人達があらぬ批判を浴びる傾向にあります。
どんなに著名な写真家たちが勝手な考えを振りまこうとも写真を自由に楽しむ考えを封じこむことは出来ません。
写真に関わる全ての人がこの機会に写真に対する考え方を見直して楽しく撮影を続けることを提案します。

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