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​質感溢れる写真とは

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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

写真を写す目的の一つに「この雰囲気を感じて欲しい」と、云うのがあります。
カメラの前で起きている事象を超えて自分の感じた感覚を優先したり、その感覚に誘導する撮影法です。
こうなると既にカメラの基本的な機能を超えてカメラの持つ特性を利用して自分好みの写真を撮ろうとする創作の世界に入ります。
そうなると最早 気軽にシャッターを切る「映える」や「綺麗」の世界とも記録写真の世界とは離れ、芸術的な評価のみがその価値を決定する世界になる筈なのですが、近年はその線引きがあいまいが故に写真評価の格式が低迷していると感じます。
いくらカメラが進化して誰でもが気軽に撮影が出来るようになったからと云って更なる購買意欲を高めようと意味のないローカルコンテストを増やし、写真の良し悪しも解らない市長賞などを作り出して配るのは勘違いカメラマンを増やすだけで、モラルの低下等の社会問題を引き起こし、写真業界としてはマイナス要素しか見当たりません。
撮影が楽しいと感じている間はアマチュアを意識してモラルやマナーを重視して周囲に見本を示すよう心掛けて欲しいものですし、私もそれを実行しています。
現実として、芸術性を意識して撮影をするのはとても疲れる作業ですし、楽しんで撮るような余裕はありません。
色々なことを想定しながら何枚もの撮影をしていて一枚でもいい結果が出た時だけが楽しい瞬間なのです。
芸術である以上 写真も必然の中で見つかる稀な偶然なのです。

話が脱線をしましたが、今回気が付いたのは「感」を意識して撮る事の重要性です。
存在感・躍動感・清涼感・・・ などと色々ありますが、今私が最も意識しているのは「質感」です。
「物のそのものらしさ」と、でも表現すれば理解できるでしょうか?
深い輝きや何とも言えない渋い色合いなどは私を魅了して止まない被写体です。
昔から物撮りなどではとても重要視されて来た「質感」ですが、物撮りに限らずポートレートや風景など、あらゆる場所で必要とされる要素です。
ところが写真でそれを実行しようとするととても大きな課題にぶつかります。
それは絞り値で、開放に近付けるとバックがボケて立体感が増すのですが、質感は無くなって行きますし、逆に絞り込んで行くと質感は増すもののバックのボケが無くなり立体感が薄らいでペッタリした印象の作品に仕上がります。
その現象を解消して質感と立体感の両方を表現する方法を探すのですが、簡単には見つかるはずもなく、目下奮闘中なのです。
これが見つかればとりあえず私の目的は完成で、あとは必然の偶然に期待するだけです。

 

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