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​写真家にある二つのタイプ

​濱野 美津男

              (写真愛好家)

写真を撮る人には「拾い屋」と「狩人」と云う二つのタイプがあると聞いたことがあります。

「拾い屋」とは自然のままの姿を撮る人の事で、
「狩人」とはもっと積極的に自分のイメージを表現しようとする人とでも云えばいいのでしょうか
両方とも何の考えも無しに単に撮影だけをするわけではないので、何方が優れているとは言い難いのですが、インパクトが強いのは「狩人」と云う事になるのでしょうか
もっと分かりやすく説明すると「拾い屋」は自分の指示で被写体に意思を伝えることなく自分のイメージの被写体が現れるまで辛抱強く待って一瞬のシャッターチャンスを生かして作品を作り上げるタイプの写真家が多く、風景写真や街角撮影をする人に多いような気がします。
それに対して「狩人」は自分のイメージに被写体を配置しポーズを付けて作品にします。 いわゆる演出によって自分のイメージ通りの作品を作り出す人ですね。
グラビア撮影などはこの手法以外では成り立たない世界かもしれません。
古いタイプの写真家の間では演出や加工などを嫌う傾向がありますが、トリミングや覆い焼きなども含めると昔からあった手法の延長のような気もするんですがねぇーーー
そもそも写真をどの様に受け捉えているのかが論点の基準だと思います。
字の通りに「写真」なのだから真実を写し撮っていなければならないとするならば人間の介在する余地はなく、機械的にカメラが写したモノのみが「写真」と云う事に成り、そこには芸術的な要素が入り込む隙間が無いように思えます。
しかし、最近のカメラやスマホの機能向上によりAUTOなどのモードで撮れば撮影者の意図とは関係なく、機械的な写真は撮れてしまうようになりました。
いわゆるワー綺麗とかインスタ映え等の新しい評価基準の写真ですね。 その中で最も理解出来ないのが自分が注文した料理の写真ですが、これも私が知らない別の評価基準があるのでしょう。
ココではあくまでも芸術としての写真を評価する基準と考えれば撮影者の意図を含まない写真は機械的な記録に過ぎないと考えるべきかもしれません。
「拾い屋」にしろ「狩人」にしろ撮影者の意図がシッカリ盛り込まれて表現されていることが大切なのだと気付かされます。
たかが写真 されど写真と言う訳ですね。

私自身は現在のところハッキリと「拾い屋」です。
モデルさんに指示を出すポーズも思い付きませんし、こんな写真に仕上げたいとの具体的なイメージも掴めないでいるからです。
この辺はやはり天性のものかもしれませんね。

それでも写真を見る目だけは少しずつですが、備わって来たような気がしています。 勿論難しい者まで分かるようになった訳ではありませんが…
私の考えでは写真を見る目とは感じる力だと少しだけ理解できるようになりました。
このことについては次の機会に書いてみようと思います。

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