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濱野 美津男

              (写真愛好家)

普通に写真を撮り続けていると、いつしか表現の限界に辿り着いてしまい自分の写真がとてもツマラナイものに見えてくる時があると言います。

私はマダマダそんな心境に辿り着いた訳ではありませんが、自分の写真がツマラナイものに見えてしまう瞬間があるのは事実です。

そんな中で出会ったのが今回の長野撮影ツアーでお世話になった久野鎮先生の考えでした。

色々な場所を訪れて、風景写真を中心に撮り続けて来られた結果、風景をそのまま写すことに疑問を感じたそうです。

何故なら 同じ場所の同じ時間に複数のカメラマンが居れば表現方法は違うとは言いながら同じような写真が撮れてしまうからだと言います。

そこで思い付いたのが創撮と云う撮影法で、気に成る被写体を見つけたらトコトン納得がいくまで向き合い、カメラ設定などを変えながら自分の作品を作り上げる手法で、これならば毎回唯一無二の作品が出来ると気付いたそうです。

炎の加減で思いがけない作品が出来上がる陶芸の作品創りにも似てますね。

どうやら芸術とは同じ手法を繰り返しても叶わない「偶然の産物」と云う要素の強い分野で、とても興味を惹かれます。

心象写真と云う言葉も理解が難しかったので調べてみると、どうやら色んな分野があるようで、中には心象風景などと云う言葉も出て来ました。

要するに撮影者の目に写ったそのままの画像ではなく、撮影者が心で感じた映像を指すようで、デホルメの効いた 絵画で例えるなら抽象画のような創造性の高い写真や、名画を見た時のような印象深い感動が心に焼き付けられるような写真を指して呼のだと分かりました。

古い頭の私に、どこまで出来るかは疑問ですが、「心象表現」を心掛けてこれからの作品作りに取り組んで行こうと思います。

そんなことを考えていたら久しぶりに夕べは眠れない夜を過ごしました。。

使おうとする小道具が揃い始めた中で、実際の使用法について考え始めたからです。

本当は失敗を重ねながら試し撮りを繰り返せば良いのでしょうが、古い頭の私には費用対効果が先に立ち、ついつい頭の中である程度の構想を練ろうとしてしまうのです。

それにしても 先ず今までとは一新しなければならないのは撮影のスタイルです。

今までは出来るだけ手持ちで、それも被写体を決めたら迷うことなく一瞬でシャッターを押す事を繰り返していたのですが、心象表現ではそれとは真逆の撮影法に成りそうだからです。

被写体を探すまでは同じですが、撮影には殆どの場合が多重露出になるため構図が変わらないよう三脚を使用する必要が出て来るので、先ずは三脚を落ち着いて使える場所の被写体を選ぶことから始まりそうです。

そして 試行錯誤を繰り返しながらジックリ被写体とその表現方法について向き合うのはとても地道な作業になりそうで、飽きっぽい自分にできるのかもとても不安がよぎります。

唯一 今までと同じなのは「表現に拘っている」と云う点なのでそれを大切にしながら作品作りに取り組んで行きたいと考えています。

正統派を誇示する人達からは色々な批判を浴びることが予測されますが、「表現こそ芸術」と自分を信じて頑張るしかないですね。

​心象表現写真

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