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創作撮影とは

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​濱野 美津男

              (写真愛好家)

最初の頃は目にする物全てが被写体として輝いて見えたため色々な所へ出掛けては撮影をして来たのだが、最近は歳をとり体力に自信が無くなったばかりではなく、余程魅力のある被写体で無い限りシャッターを切る気が薄れて来た。
原因は、多分たくさんの写真を見るうちに余り変わり映えのしない被写体に飽きて来たのではないかと思う。
勿論 同じ被写体でも光のあたり方などで変化があるので、違うと云えば違うのだが小手先を変えただけでは驚くような違いは得られないと感じる。
カメラが発明されて150年程だそうだが、その原理はデジタルになった今も殆ど変わらず「光の記録を残す機械に過ぎない」のだ。
その間 色々と理由付けをして写真の評価を繰り返して来たし、今もその現実は殆ど変わっていない。
つまり ファインダーを覗いて、そこに見えている状況を写し撮る作業を繰り返して居るに過ぎないからだ。
一部に長時間露光で時間を圧縮して撮る写真を見掛けるものの創作とは程遠い気がする。
単に被写体を色々な撮り方をして新鮮なモノに見せようとしているに過ぎないような気がしてならないのだ。
そこで私が考え付いたのは普通に覗いただけではファインダーには映らない物を作品に写し込もうという撮影方法である。
目的は映り込ませる物によって鑑賞者に撮影者の作品イメージに誘導しようと云うモノで、その為の加工や多重露光などの手法は一切使わず必ず一枚撮りで完結する事を条件にしています。
その為 理論上では簡単そうに見える撮影法ですが、やってみると焼き物のそれの様にとても歩留まりが悪いことに気付かされます。
その為 毎回一つの作品を創るのに200回以上のシャッターと2時間以上の時間を掛けますが、一回の撮影で納得の行く作品が撮れるのは極まれなことです。
変な体制で撮ることが多く、身体も痛くなりますが、なかなか思った場所にイメージ通りの映り込みが現れず時間だけが経ってうなだれて帰ることの繰り返しですが、簡単に撮れないので楽しいのかもしれません。
普通の撮影の様にシャッターさえ押せば簡単にソレらしい写真が撮れるのであればスグに飽きてしまいそうだからです。
とは言え余りの歩留まりの悪さに何とか器具を開発しなければ・・・ と、試行錯誤しているので遅くない将来もう少し歩留まりがあがりそうですが、飽きてしまわないか心配です。

 

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